チェコスピリッツ・トレードツアーに参加した話

チェコスピリッツ・トレードツアーに参加した話

MatsuzawaTakeshi

2024年、チェコのアルコール文化を心の底から体験する、夢のような5日間を過ごした。


今回はいつもの海外商談出張とは異なり、チェコ政府・大使館が企画する「チェコスピリッツ・トレードツアー」というものに参加させていただいた。

あれから1年半以上が経過してしまったが、非常に濃密な5日間、忘れられない思い出として記録を残したいと思い、今更ながら綴らせていただく。


ちなみに思い出が濃すぎたので、今回はめちゃくちゃ長い。

帰国後に調べた情報もせっかくなので全部記載した。マジで長い。

読むのが面倒臭い人は一番下までスクロールして。めちゃくちゃ省略したまとめを書いたので……


ほな……



ーーー



2024年11月3日

お客様の結婚式に参列したその足で空港へ向かった。

チェコスピリッツ・トレードツアー出発前、空港へ向かう途中の一枚

前日も友人の結婚式へ行ったので2日連続結婚式、からのチェコ。というなかなかに詰め込んだスケジュールだ。肝臓もいい感じに喜んでいる。



成田を出発しドバイで乗り継ぎ

ドバイ空港で見かけたハンバーガーセット

空港散策中に見かけたハンバーガーセット。だいたい5,000円くらい。空港価格とはいえ手が伸びない。



さて、実はプラハは訪れたことがなかった。チェコには過去に3回訪れているがプラハを訪れるのは初だ。「どういう…ことなの……」と困惑されるが毎回ハンガリーからスロバキアを経由して車で突入している。


お客様との会話でこんなことが起こる。


「マスターもチェコに行ったことあるんですか?

街並みが綺麗ですよね!お城や大聖堂も素敵ですよね!」

プラハの歴史的な街並みと建築

↑お客様が思い浮かべているチェコ

↓松沢が思い浮かべているチェコ

チェコの自然豊かな地方の風景


「……?自然豊かで心安らぐところでしたね……」



お互いが東京と長野の山奥を想像しながら日本を語っているかのような、会話の噛み合わなさが今まで数度あったが、今後はプラハの情景を思い浮かべながらチェコを語れる。



プラハ到着!!

さて、空港に着いてまず衝撃を受けた。


到着後に、日本で預けたスーツケースをピックアップすると思うが、そのバゲージクレームの手前にピルスナーウルケルのレストランがあった。

プラハ空港のバゲージクレーム手前にあるピルスナーウルケルの店舗


飛行機を降りる→ビール→スーツケース。

その順番なことあるんだ……


プラハ到着直後にピルスナーウルケルで乾杯

せっかくなので同行者と喉を潤し、テンションを上げることにする。飛行機でも飲んでただろ。


事前に通達されていたスケジュールを見る限り5日間を通してとてつもないアルコール文化に触れられるツアーになりそうだ。国民1人当たりのビール消費量世界一として知られるチェコに来たからにはある程度覚悟を決めておかねばならない。ヘパリーゼ、ウコンの力の一番ランクが上のやつは持ってきた。信じてるぞ……


到着後は市内までの移動手段など全て手配していただいていたので案内に従い宿泊先のホテルへと向かった。


チェックイン後2時間半ほど自由時間があった。今後のスケジュールを見る限りプラハ市内を散策できる自由時間はほとんどなさそうだ。入念に準備をしていただいているので、期待に応えられるよう5日間みっちり勉強するつもりだ。



時間を無駄にできないと思い足早に街へ繰り出す。

プラハ市内のアンティークショップ巡り

至る所に存在するアンティークショップを巡った。最終日に少しだけある余白で再訪するための下見。

チェコはアブサンも有名なので押さえておきたかった。が、今回の視察ルートにアブサンの生産者は含まれていなかったのでアブサンの品揃えがいい酒屋にも寄った。


限られた時間でできるだけ無駄がないように事前にリサーチもしていたので、気の迷いはあれど道に迷うこともなく、満足いく散策ができた。


プラハの中欧らしい街並み

中欧の街並みはテンションが高まる



1箇所目

Slivovitz Museum R.JELÍNEK

プラハのSlivovitz Museum R.JELÍNEK

最初の視察先はプラハ城の麓、マーネス橋を渡った先にあるスリヴォヴィッツミュージアムだ。弊社で輸入しているチェコ共和国最大手の蒸溜所の直営施設で、蒸溜所の歴史や製品について展示しており、Barも併設されている。

ちなみにスリヴォヴィッツは英語表記。チェコ語表記ではスリヴォヴィツェ。チェコスタイルで今回はスリヴォヴィツェで通したい。ミュージアムは固有名詞でスリヴォヴィッツなのでご容赦。


R.JELÍNEKとの出会いは以前に書き記したのでぜひご一読いただきたい。


蒸溜所の歴史について学び、製法やこだわりについてもとても詳しく学ぶことができた。

一番衝撃だったのはVR体験。

コロナ以前辺りからお酒関連のイベントで目にすることが増えたVR体験は、現地まで行かずとも蒸溜所の見学ができるというとても素晴らしいコンテンツだった。イベントでは長蛇の列を作っているのをよく見かける。

しかし、ここSlivovitz MuseumのVR体験は一味違う。蒸溜所見学ではない。

なんと「自分自身がスリヴォヴィツェになる体験ができる」という摩訶不思議なVRだ。


何を言ってるかわからねーと思うが……


ゴーグルを装着するとそこに広がるのは果樹園。若干視点が高い位置にある。


( ^ω^)これは……?


プラム目線だ。自分自身がプラムになっている。

Slivovitz MuseumでVRゴーグルを装着する松沢

ゴーグルを装着しているのでうまく撮れてるか分からないけど面白そうだったので撮った自撮り。

完璧すぎるアングル。


座った椅子が震える。

揺らされている。


収穫されているのだ。


その後は発酵、蒸溜という工程を経てグラスに注がれる。

発酵、蒸溜のタイミングでハロゲンヒーターが点き、しっかりと加熱される演出まであった。

Slivovitz Museumのスリヴォヴィツェ製造を体験するVR


自分自身が蒸溜されスリヴォヴィツェになったところで、満を持して試飲の時間だ。

Slivovitz Museumの日本語対応展示

日本語もあるよ!



運ばれてくるテイスティングセット。

Slivovitz Museumで提供されたスリヴォヴィツェのテイスティングセット

多いな。



チェイサーに見える薄橙色の飲み物もしっかりアルコールが入っている。


ベーコンやパテなど、お肉と合わせるようだ。

確かにアルコールと脂の相性は良い。脂質によってアルコールの刺激が和らぎ、香りへ意識を集中させることができる。そしてアルコールに脂が溶けることでさっぱりとする。

とてもいい組み合わせだ。



Slivovitz Museumのスリヴォヴィツェと肉料理のペアリング


その後も立派なバーカウンターで追加で飲みたいものを注文した。


Slivovitz MuseumのVIP専用エリア


VIP専用エリア。今回は特別に中に入れてもらうことができたが、本当に滅多に入れないらしい。


……VIPから来ましたって言いたい。



2箇所目

U Fleků


プラハの老舗醸造所兼ビアホールU Fleků

ディナーは1499年から醸造し続ける、現存する最古級の醸造所兼ビアホール「ウ・フレクー」を訪れた。

アコーディオンの生演奏と共に自家製の黒ビールが提供される。

U Flekůで提供される自家製黒ビール

今回はツアーに参加していることもあり、アテンドされる身なので注文をしなくても提供されたが、後々調べたらどうやら伝統的には、席に着くと次々ビールが運ばれてくるスタイルのようだ。うーん、さすがチェコ。



この雰囲気だけでビールが進む。

U Flekůの歴史あるビアホールの店内


料理もビールに合う味付けのしっかりしたものが多い。

U Flekůで味わったチェコ料理


プラハを訪れることがあったら必ず再訪したい場所だ。


その後はBar巡り。


3箇所目

Black Angel’s

プラハのカクテルバーBlack Angel’s

写真禁止なので写真なし。プラハを代表するカクテルバーといえばここ。


4箇所目

L‘Fleur

プラハのカクテルバーL‘Fleur

チェコのスピリッツは基本的にはショットで飲まれることが多いが現地のバーではどのようなカクテルになっているのだろうか。注文すると「作ることはできるけど、基本的にはショットだよ〜」と言われたが、その上でカクテルをお願いしてみた。

L‘Fleurでチェコ産スピリッツを使って作ってもらったカクテル

スタンダードカクテルのツイスト、果汁とジンジャーエールの組み合わせ、やはり素材を活かすためにもシンプルなものが多いようだ。ビネガーを組み合わせることで、果物の発酵時の香りが蒸溜後に残っているタイプのものを逆手に取り増幅させちゃうっていう構築の仕方はいい刺激になった。


L‘Fleurで提供されたドライフルーツ入りのフルーツスピリッツ

原材料と同じフルーツのドライフルーツが入ったショットはよく見かけた。


日付が変わるまで飲んでいたが翌日は朝7:00起床だ。初日から飛ばしすぎた気がする。


夜のプラハの街並み

中欧の雰囲気、やはり好き。

おやすみ

おはよう

二日酔い……なってないだと……?琉球酒豪伝説は偉大だ。


5箇所目

BOHEMIA SEKT


チェコ最大のスパークリングワインメーカーBOHEMIA SEKT

前日の思い出を肝臓に抱えながら早朝にワイナリーへ向かった。

プラハから車で約2時間ほど南西に位置するBOHEMIA SEKTだ。


1942年創業、チェコ最大のスパークリングワインメーカーで、スティルワインも製造しており、年間で3000万本弱を出荷しているという。なんとチェコ国内のスパークリングワインシェア70%を誇る。そりゃ工場もこれだけデカいわけだ……

BOHEMIA SEKTの大規模なワイン製造施設


1944年に最初のスパークリングワイン「CHATEAU RADYNĚ」を仕込み、1945年春に完成・販売開始。あのエリザベス2世にも供されたことがある誇り高いスパークリングワインだ。


BOHEMIA SEKTのスパークリングワインCHATEAU RADYNĚに関する展示



1949年 フランス人の醸造専門家Louis Girardot氏が、現地のセラーマスターにスパークリングワイン製造技術を伝え技術向上。


想像を遥かに超える生産規模を目の当たりにし、圧倒される。1時間ほど製造工程を見学したのちに試飲だ。



運ばれてきた

BOHEMIA SEKTで最初に提供された3種類のワイン

3種類のワインは衝撃的な美味しさ。このような試飲の場では無理に飲み干さなくてもいいよ、と吐器が用意される。ここも同様だった。同行者と「これは美味しいね〜!全部飲んじゃう!」と意気揚々に3種類のスパークリングワインを飲み干した。


BOHEMIA SEKTのワインテイスティング


ところが次々と運ばれてくるボトル。


「あの……全部で何種類飲ませていただけるのですか?」

「^^」


合計14種類のワインが次々と運ばれてくる。

BOHEMIA SEKTで試飲した14種類のワイン

まだ午前中だぞ。


ワインは専門外ではあるが、今後も継続して愛していきたいと思える、そんなブランドに出会えた。


ちなみに貯蔵庫はこのレベル。これでもほんの一部。

BOHEMIA SEKTの大規模なワイン貯蔵庫

デカすぎんだろ……


ほろ酔い(といいつつ中々に酔っている)状態で次の目的地へ向かう。

まだ午前中だぞ……



6箇所目

Baron Hildprandt


南ボヘミア地方のBaron Hildprandt蒸溜所


南ボヘミア地方ブラトナー城の向かいに創設された歴史ある蒸溜所だ。

1812年に精糖工場として建設された施設が、1885年に蒸溜所として転用されたという歴史を持つ。


この蒸溜所は非常に興味深い。

「城館蒸溜所」というものだ。

当時の貴族領は森林、農地、果樹園、養殖池など巨大農業経営体を成していた。

こうした領地経営の中で果実を加工・蒸溜することには合理性があったと言える。



その歴史を知るためにも重要だったので蒸溜所見学の前に城見学。

蒸溜所見学に来たはずなんだけどな……でも重要だからいっぱい書くよ!


Baron Hildprandtの歴史と深く関わるブラトナー城


ブラトナー城は1235年、木造の要塞から始まり、13世紀中期に石造化。

15〜16世紀ボヘミア王国屈指の名門であるロジュミタール家が城主となる。このロジュミタール家が凄い。1465年から3年間に渡りヨーロッパ諸国を巡り、キリスト教諸国による平和連合構想を提唱した。めちゃくちゃざっくり例えるなら現在でいうEUのようなもの。

その後様々な貴族の所有となるが1798年にHildprandt家が城と領地を取得。共産主義政権による没収期間を挟みながら、現在までこの地との関係が続いている。

このHildprandt家が1885年に蒸溜所を立ち上げたのだ。

1948年共産政権成立に伴い、Hildprandt家は1952年に城を強制退去となる。国外へ亡命し、1989年ビロード革命で共産政権崩壊後、1991年にブラトナー城が返還された。


要約すると


1798年 Hildprandt家がブラトナー城を取得

1885年 城館蒸溜所設立

1896年 ビール醸造所も併設

1948年 共産政権設立

1952年 ブラトナー城、蒸溜所が没収

1978年 ビール醸造終了(Strakoniceへ移管)

1989年 ビロード革命、共産政権崩壊

1991年 返還


という感じ。激動すぎる。1885年創業だよ〜と一言で済ませるにはあまりにも重い。

いつの間にか近代チェコ史の勉強になってきたな。


ビール事業が立ち上がったのちに、共産政権下で事業終了という部分がなかなか興味深い。

ビール、ワイン、蒸溜酒といったアルコール産業は基本的に国営となる。そしてアルコールは国内外需要、輸出産業としても税収面で非常に重要な役割を担っている。

国営化して大量生産する方向へと切り替わった。

これは知らなかったな。


この地でのビール事業は縮小され、ストラコニツェへ移ったとHPに記載されているが、詳細は記述がない。


ここからは個人的推測。

時代背景を考慮するとこれは社会主義経済による合理化ではないだろうか。人件費や設備、輸送面を考慮しても小規模工場を減らして大規模な工場に集約した方が効率がよい。

(この時の醸造設備はプルゼニ醸造博物館へ移設されたという記述は見つかった)


ではなぜ蒸溜所は残ったのか?

果実の輸送リスクだと思われる。果実は穀物などに比べ傷みやすいため保存・長距離輸送に制約が大きく、産地で早期に加工する合理性がある。

大規模な蒸溜所を立ち上げるメリットが少なかったのだと思う。

果実の産地で、そのまま蒸溜酒にした方がブランド価値も維持できたのではないだろうか。でも社会主義という背景を考えるとブランド価値というより合理性という側面がデカそう。


「大量生産に向く産業は集約され、小規模でも地域資源に依存する産業は残された」


社会主義経済の考え方がそのまま表れているように思える。

ここでもう一つ面白いのが、スイスの老舗フルーツブランデー蒸溜所Fassbindとの繋がり。

共産政権下で国営企業の一部となっていたBlatnáの蒸溜所は、民主化後にHildprandt家へ返還される。そこで重要な役割を担ったのが、現在もマスターディスティラーを務めるVáclav Šitner氏。Šitner氏は国営時代からBlatnáの工場で働いており、返還後の1993年、Hildprandt家(Jan Hildprandt氏)とともに「LIQUI B – ZÁMECKÝ OVOCNÝ LIHOVAR BLATNÁ」を設立。設備と従業員を引き継ぎ、果実蒸溜酒造りを再構築していった。

その再建にあたり、参考にした蒸溜所のひとつがスイスのFassbindだったとされている。なんでスイス?国内にも近隣にも果実蒸溜所いっぱいあるよね?

と思い調べてみると、どうも当時すでにスイスやドイツの企業と良好なコネクションを持っていたという。その人脈を利用して、再建直後のLiqui Bは国内ではなく輸出市場にも積極的に目を向け、最初の製品からスイスやドイツへ送り出していた。

つまりスイスは「離れた場所にある果実蒸溜酒文化が根付いている国」ではなく、再建当初から実際に自分たちの酒を売っていた重要な市場だった。

そのスイスで1846年から果実蒸溜酒を造り続けていた老舗がFassbind。20世紀には独自の蒸溜設備を開発するなど、技術面でも積極的だった蒸溜所である。

近くに参考になる蒸溜所がなかったわけではない。それでも再建時の参考先としてFassbindを見ていた。おそらく、単に「果実蒸溜酒の造り方」を学ぶというより、自分たちがこれから酒を売っていこうとしていた西欧市場で、果実蒸溜酒をどう高品質な商品として成立させているのかを見る意味もあったのではないかと思う。

しかもBlatnáの蒸溜酒は、その後実際にスイスへ輸出されている。

……となると「そのスイス向けってFassbindだったりして」と思ってしまう。

BlatnáがFassbindを再建の参考にしたとする記録と、Hildprandt家がスイス企業とのコネクションを持ち、Blatná産の蒸溜酒を実際にスイスへ輸出していたという記録は存在する。しかし、輸出先がFassbindだったことや、両社間に技術供与・OEM・直接取引があったことまで裏付ける資料は見つからなかった。残念。

参考にした相手へ逆に原酒を供給してたんだったら、めちゃくちゃロマンあるんだけどな。

じっくり1時間。ここまで書いた歴史は帰国後に調べたので先に調べ倒しておけばよかったと少し後悔。



ブラトナー城の内部と狩猟にまつわる展示

ブラトナー城の内部。領主は狩猟が好きだったようだ。


1時間ほどの見学を経て蒸溜所の見学だ。

Baron Hildprandt蒸溜所の蒸溜設備

Baron Hildprandtでは製品によって蒸溜回数が異なる。

通常の50%シリーズは発酵後に3回蒸溜され、4x Distilledシリーズではその名の通り4回蒸溜。製造元によれば4xシリーズには「二段式の釜式蒸溜」が用いられ、繰り返し蒸溜することでより高い純度と滑らかさを狙っているという。

Baron Hildprandtのフルーツスピリッツ製造設備

蒸溜後はいずれもすぐ瓶詰めするのではなく、ステンレスタンクで1年間休ませる。


さらにOriginalシリーズでは、3回蒸溜した原酒を1年間熟成させた後、ドライフルーツ抽出物などとブレンドし、蒸溜酒に使用した樽、またはステンレスタンクでさらに2〜3か月馴染ませるという、一般的な無添加のフルーツブランデーとは少し異なる製法を採っているので明確に甘みがある。しかしわざとらしい甘みがベッタリと残るほどではない。わずかな甘みが香りをより引き立ててくれるのだ。


Baron Hildprandt Originalシリーズ

恐らく多くの人が思い浮かべるフルーツのお酒が、まさにこれに近い。(個人的には、自然由来とはいえ甘味を加えているものは他製品と比較された時に誤解が生まれやすいため、少し避けてしまいがち。めちゃくちゃ美味しいけど。)



7箇所目

MONARCH STEAK


気がつけば日も暮れ始めている。

濃密な1日だった。その日を締めくくるのは熟成肉とボヘミアセクトのワインペアリング。

MONARCH STEAKでの熟成肉とBOHEMIA SEKTのワインペアリング

その日のうちに復習までできるとは、なんて解像度の高いツアーなんだ。



MONARCH STEAKで提供された肉料理

MONARCH STEAKで提供された骨髄料理

骨髄


MONARCH STEAKで提供されたステーキ

肉!!!

MONARCH STEAKの熟成肉料理

肉ぅ!!肉がゲシュタルト崩壊してきた。



それぞれの料理に合わせて泡、赤、白と次々ワインが注がれ「なんて贅沢な体験なのだろう」と舌鼓を打っていると取り皿が交換され、流石にデザートかと思い

「まだステーキが出てくるの?笑」とスタッフさんに冗談混じりで話しかけた。


「まさかww」

と言いながら笑顔で次のお皿を運んできた。

MONARCH STEAKで最後に提供された肉料理

ステーキではないけど肉なんだよなぁ……


最後に貴腐ワインで締めくくり、至福のディナーとなった。


8箇所目

kaviár

プラハのシーシャ&カクテルバーkaviár

日中に訪れたBaron Hildprandt蒸溜所にいたベトナム人バーテンダーが経営するシーシャバーを訪れた。

カクテルも幅広く提供しており、いい意味でゆったりとした時間を過ごした。バーテンダー仲間と訪れたが、話の流れでカウンターに入り突発的にカクテルを作ることになったのもいい思い出である。

kaviárで取り扱われていたジャパニーズウイスキー

ジャパニーズウイスキーの取り扱いもあった。



気がつけばまたしても日を跨いでいた。

翌日も7:30出発だ。


9箇所目

トゥーゲントハット邸


神は細部に宿る

ミース・ファン・デル・ローエ設計の世界遺産トゥーゲントハット邸

ミース・ファン・デル・ローエ設計の世界遺産にも登録されている20世紀モダニズム建築を代表する住宅。

今から100年近く前にここまで革新的な建築があったとは……最近できたんだよ〜と言われても納得してしまうほどの先進性。

書ききれないほど魅力的だったが飲食関連ではないため詳細は割愛。


10箇所目

Hostinec U semináru

ブルノの伝統的なチェコ料理店Hostinec U semináru

ランチは観光客向けではなく、地元の方に長く愛される伝統的なチェコ料理店。


Vývar s masovými knedlíčky

ヴィーヴァル・ス・マソヴィーミ・クネドリーチュキ

肉団子入りコンソメスープ

Hostinec U semináruの肉団子入りコンソメスープ

Svíčková na smetaně

スヴィーチコヴァ・ナ・スメタニェ

牛肉のクリームソース煮

Hostinec U semináruの牛肉のクリームソース煮Svíčková na smetaně

そして当然のようにピルスナーウルケル。

Hostinec U semináruで提供されたピルスナーウルケル

男性陣「飲んでも……よかですか……」

大使館「チェコの食文化に触れていただく目的ですから、どうぞ^^」


都市部の観光客向けの大衆店もいいが、やはりこういった文化に触れられるのはとても貴重だ。アテンドあってこそ。ありがたい。



11箇所目

Palírna U Zeleného Stromu

1518年創業のPalírna U Zeleného Stromu

なんと1518年創業というヨーロッパでも最古級の蒸溜所。どこを始点とするか議論が分かれるので、創業年数の扱いも難しいな。

ここもBaron Hildprandtと同様に貴族と歴史上関わりのある生産者。


1518年 モラヴィアの貴族Vilém z Pernštejnaが領地プロスチョエフの数十軒に酒造の権利を与える。その中の1軒がZeleného Stromuだ。この時点では蒸溜文化はなく、ビールの製造権利のみ。でも蒸溜もしてたって記述もあったので試験的に蒸溜していた可能性もある。曖昧だからこそのロマン、あるな。


1591年 パン職人であったPavel Zoubek氏がこの蒸溜所の経営に参加。

パン職人が酒造りに参画するということの納得度の高さよ……

これが記録に残る最初の正式な蒸溜。

それまで蒸溜酒は元々市内各地で造られていたが、製造権利として独占されていなかった。


1610年 カール・フォン・リヒテンシュタインによってビールの醸造だけでなく蒸溜酒の製造も認可され、販売権も含めて適用。特定の業者だけに許された特権となる。逆に言うと権利を持たない者による蒸溜酒の製造・販売が禁止されたということ。税収の確保、既得権益保護など様々な理由が見えてくる。とはいえ当時の文献を調べると課税対象となっていた蒸溜所が12箇所。そしてそれらを提供する酒場は60軒もあったという。(60軒?多くね……?)

特権・独占という言葉だと権利を振りかざすマイナスイメージが拭えないので、法整備と捉える方が的確だろう。


1697年 街の半分を焼き尽くす大火災。この蒸溜所は消失を免れる。


1735年 薬剤師であるMichael Storch氏がオーナーになる。そして様々なハーブやスパイスをレシピへ組み込み、後の伝統的なリキュール製造へ繋がっていく。


1843年 Jakub Vojáček氏が蒸溜所を買収。蒸溜設備、樽熟成、輸出開始。近代化により事業規模を拡大。この当時に使用されていたオーク樽の一部は現在も使われている。ロマンあるな。

Palírna U Zeleného Stromuに残る歴史的なオーク樽


1948年 共産政権時代。蒸溜所が国有化。所有権は移ったがStarorežná Prostějovという名前で操業継続。


1992年 再度民営化。


2017年 Palírna U Zeleného stromuの名前で正式復活。これは500周年を目前にしたブランディング戦略。


チェコの蒸溜文化について調べていると貴族領地との関係性が直接的に関わってくるので、歴史好きには最高のコンテンツだなと実感する。宗教的な観点からも関係が深いのは当然ではあるので、そういう意味ではチェコに限ったことでは無いけど、それでもかなり強固な関係性だな。


Palírna U Zeleného Stromuが製造するニガヨモギウォッカBabicka

ちなみにこの蒸溜所の製造しているニガヨモギウォッカBabicka/バビチカは帰国後まもなくして日本での取り扱いが始まったため現在は日本で購入可能。キンキンに冷やしてソーダ割りにすると美味い。


12箇所目

TŌSH Distillery

中部モラヴィアのTŌSH Distillery

オロモウツ近郊のTěšetice(チェシェティツェ)にある蒸溜所。

地域の穀物・植物・果物を中心に蒸溜酒を作るというコンセプトを重視している地域貢献型。


現在の形になったのは2017年と新しいが、歴史を遡ると修道院との関係を持つ。

修道院、というより修道院長が設備を整備したという歴史があり1582年にまで遡る。日本だとちょうど本能寺の変。

ここも例によって1948年に国有化となる。


1970年代 国営食品企業SELIKO Olomoucが、「国内原料を使い、スコッチウイスキー方式に倣った製品をつくる」というプロジェクトを開始。


1973年10月17日~12月18日に最初の成功した生産記録が現存。


TŌSHに残る1973年のKing Barley最初期の製造記録


TŌSHが保管する「Výrobní list No.1」では、この最初のバッチから2,815Lのアルコールが得られたことまで確認できる。


これが、「King Barley」と呼ばれるウイスキーの原点。


TŌSH Distilleryで試飲した現在のKing Barley


これは試飲させてもらった現在のキングバーレイの写真。強そうだな。

名前はモラヴィアの伝説的人物Král Ječmínek(King Barley / 大麦王)に由来する。


1978年 ウイスキー「Gold Cock」の開発開始。

TŌSHのウイスキーGold Cockに関する展示

1979年 ジンの初蒸溜


2002年 先述のSELIKOは共産政権崩壊後に民営化されるが、経営破綻。このタイミングでウイスキーの製造も途絶えることとなる。最後に蒸溜した記録が残るのがこの年。その後しばらく製造中断という空白期を迎える。その後RUDOLF JELÍNEKがGold Cock商標、設備の一部、熟成原酒を取得。


2008年 RUDOLF JELÍNEKがVizoviceで新たなウイスキー蒸溜を開始。


2017年 Jiří Omelka氏によって復活。過去のオリジナルレシピを参考にし、当時の設備を活用しながら1970年代のKing Barleyの製造記録・レシピを参照し、現代版King Barleyの製造を再開。こういう『昔の製造記録が倉庫から出てくる』系の話に弱い。ファンタジーかよ。好き。


2018年 TŌSH Distilleryとして本格的に活動を開始。


2019年 1979年のジン製造開始から約40年。現代のTŌSHは、この歴史を継承しつつ現代的なレシピによるクラフトジンを展開していく。


TŌSH Distilleryのクラフトジンのラインナップ


現在10種類を超えるラインナップがあり、ラベルは動物をモデルにしているものが多くデザインの一貫性が感じられる。ジンの力強さを熊で表現したり、季節ごとにボタニカルを変えるジンはカメレオンを用いたり、王道のロンドンドライタイプはもちろんネイビーストレングスやフルーティなもの、スパイシーなものなど多種多様。限定品やコラボ商品を含めると種類はさらに多くなる。


そして地元のハーブやフルーツを活かした、地域密着の姿勢が根底にある。

地域密着にこだわるのは貢献面だけでなく、実際に理に適っている点が多いからだ。Těšeticeはチェコの中でも中部モラヴィア・Haná地方に属する。この土地は肥沃な平野が中心で、歴史的にもこの地域では農業と強く結びついており、農業・食品生産において非常に強い地域だ。そしてどちらかというと果実ではなく穀物が多い。

Hanáが歴史的な穀倉地帯であることを考えると、TŌSHが大麦やウイスキーをアイデンティティの中心に置くことにも土地柄との自然な繋がりを感じる。



2020年 TŌSH GINが地域アワードを受賞。このコンテストはオロモウツ州の農産物・食品・飲料を評価するもの。地域性を重視する姿勢が評価された形となった。


2022年 TŌSH GINが英国Craft Gin Clubの「Gin of the Month」に選出。チェコ産ジンとして初の選出となり、地域密着型の小規模蒸溜所から国外へも評価を広げていく。



現在 King Barley、Lafayetteを中心とするウイスキー、Moravian Dry Ginを中心とする多様なクラフトジン、地元で収穫できた果実を積極的に使用する果実蒸溜酒、伝統的ハーブリキュールJakamarusなどを製造。社会主義時代から残るTěšeticeの蒸溜文化を継承しながら、「Hanáの原料を使った地域密着型クラフト蒸溜所」という現在のスタイルを確立している。



長くなったので要約すると


1973 King Barley誕生

→ 1978 Gold Cock開発

→ 1979 Gin Ton製造

→ 2002 断絶

→ 2017 King Barley復刻

→ 2019頃 現代TŌSH Gin

→ 2020 地元で評価

→ 2022 英国で評価

→ Lafayette=「復刻ではないTŌSH自身のウイスキー」


と言った感じ。


TŌSH Distilleryの歴史を感じる地下セラー

地下のセラーからも歴史を感じる。


チェコの大地で育まれた歴史と蒸溜酒を堪能させていただき、蒸溜所を後にした。



ディナータイム。

13箇所目

ELEMENT

ブルノのレストラン&バーELEMENT

20年以上世界中を渡り歩き研鑽を積んだオーナーシェフのTomáš Reger氏が経営する、本格的なバーを併設したモラヴィアの食材と世界各地の料理文化を融合・再解釈したモダン・キュイジーヌ。


ELEMENTのモダン・キュイジーヌ

そしてトマーシュ氏は2025年大阪・関西万博チェコパビリオンのレストランにおける料理コンセプトを監修している。世界中の料理を現場で経験したトマーシュ氏ならではの、伝統的チェコ料理×アジア・日本的な感覚が体現されていたように思う。ここを訪れた理由の一つでもある。

僭越ながらチェコパビリオンで提供するアルコールメニューの一部に関わらせていただいた。シェフの意向を聞き、どのような組み合わせが想定できるか、どのようなドリンクメニューがあると好ましいか、その打ち合わせの時間を作ることができた。全面的にコラボした特別メニューがあったわけではないのでとても綿密な話し合いをしたというわけではないが、この上ない特別な時間を過ごさせていただいた。


ELEMENTの本格的なバーカウンター

バーもめちゃくちゃ素敵で本格的。

面白い蒸溜酒があるよ!といって出されたのがこちら

ELEMENTで紹介されたLaurent Cazottesのトマトスピリッツ

Laurent Cazottesのトマトやんけ!やはり行き着く先はこのレベル……

ブルノへ訪れる方がいたらELEMENTは是非訪れていただきたい。



14箇所目

Super Panda Circus

ブルノ中心部にある、独創的な雰囲気のカクテルバー。

ブルノのカクテルバーSuper Panda Circus

運営するのはJan Vlachynský氏を中心とする「Lidi z Baru」というグループ。

彼らは2012年、ブルノに「Bar, který neexistuje(存在しないバー)」という名前のバーをオープンし成功を収める。当時のブルノにはほとんど存在しなかったタイプの本格的なカクテルバー文化を構築した。


当時はウォッカとジュースを加えただけのカクテルが中心だったこともあり、周囲からも「ブルノの客はそんな新しいものを求めていない」という意見も多かったらしいが、そんな中「ブルノに顕在化していなかった需要を作り上げること」に成功したバーだ。

Super Panda Circusのサイバーパンクな店内

Super Panda Circus。サイバーパンクな内装。


その後、次の店を作るにあたって世界各地のバーを巡り、その中で東京にも約1週間滞在。35軒ほどのバーを回ったという。

そこで受けた刺激をブルノへ持ち帰り、2014年頃に誕生したのがSuper Panda Circus。



単純に日本のバーをチェコで再現した店というわけではない。


日本のバー文化から受けた影響に、サーカス、ゲーム、アジア的な意匠、街中に立ち並ぶネオンサイン、そしてブルノらしい遊び心を組み合わせ、店そのものを一つの「別世界」として作り上げている。


Super Panda Circusのサーカス会場を思わせるカウンターと客席

カウンターを舞台に見立て、客席がサーカス会場のようになっている。写真だと暗くてわからんね。


メニュー開発にもかなり時間をかけており、コンセプトを決め、そこから味を設計し、必要ならリキュールなどの材料そのものを自分たちで作る。

Super Panda Circusのカクテルメニュー

メニューはかなりAIを活用していた。2024年の時点でこのレベルであれば、今のAI技術があればさらに高度なものになってそう。



Super Panda Circusのチューブ入りスリヴォヴィツェアイスクリームカクテル

チューブに入ったスリヴォヴィツェアイスクリームカクテル。飲み方?食べ方?に戸惑う松沢


2016年CZECH BAR AWARDSにおいて、「Best Cocktail Bar」と「Best Design」の2部門を受賞。


特筆すべきは、Best Cocktail Barをプラハ以外の店が獲得したのは、この時が同賞史上初だったという点。チェコのバー文化といえばどうしても首都プラハに目が行きがちだが、Super Panda Circusはその構図を崩した店の一つと言っていいと思う。



伝統をそのまま守るのではなく、外の文化を率先して取り入れ、それらを土地に合わせて再解釈する。



今回モラヴィアを巡っていて、こういう姿勢を何度も目にした。

Super Panda Circusは、それをカクテルバーという形で最も分かりやすく体現している店の一つなのかもしれない。



次の店へ移動している最中にヤナーチク先生がいたのでツーショット。

ブルノの街中にある作曲家レオシュ・ヤナーチェクの像と松沢

街歩きって本当に楽しいな。

もう一軒くらい行きたいと思い、てくてく歩いていると突然視界に入る日本語。おや……?


15箇所目

夢 Anime Bar

ブルノの夢 Anime Bar

世界中で愛されるアニメ文化。誇らしい限りである。

最初は入り口を覗くだけにしようと思ったが入店してしまった。


夢 Anime Barの入口に並ぶアニメ作品のポスター

入り口に貼ってあるポスター、すーぱーそに子が目に入ってしまったのでな……絶対ガチ勢がいる、と確信してしまった……

メニューもアニメや漫画由来の単語が並んでいた。こういう店は日本のコンセプトカフェなどでもそうだが味を楽しむという主旨ではなく、雰囲気に浸りたい。2010年前後を思い返すと、こんな世界になるなんて夢にも思わなかったな。

夢 Anime Barのアニメ・漫画をテーマにした店内

トマーシュ氏もなぜかここで合流。ミシュランガイド掲載歴を持つシェフが食戟のソーマに囲まれてるの、ちょっと面白い。


これもまた旅の一興。


16箇所目

4pokoje

ブルノのバー4pokoje

トマーシュ氏と酒を交わしながらもうちょっと話したいなと思い歩きながら見つけたバーへ立ち寄った。スリヴォヴィツェを使ったカクテルを注文し、翌年に控えていた万博の話の続きを話し合う。

4pokojeで注文したスリヴォヴィツェを使ったカクテル

その後も1時間ほど世界中の食文化や酒文化について語り合った。


ホテルへ戻りもうちょっと飲もうかどうか迷って写真だけ撮ったロビーにある自動販売機。

ブルノのホテルロビーにあった酒類の自動販売機

キャパシティ的に飲まなくて本当に良かった。

いや、キャパシティはオーバーしてるんだけども。


17箇所目

RUDOLF JELÍNEK

ヴィゾヴィツェのRUDOLF JELÍNEK蒸溜所

2023年以来、2回目の訪問となる。


以前にも一通り見学させていただいたが、同行者とともに改めて解説を交えて新しくなった蒸溜設備や果樹園を見学させていただいた。

RUDOLF JELÍNEKの蒸溜設備と施設見学

日本100本限定リリースのFAMILY RESERVEの熟成庫にも特別に招待していただいた。

RUDOLF JELÍNEKのFAMILY RESERVE熟成庫

そして昼食の時間、チェコ政府・大使館の方々に事前にお願いをしていた通り、少しだけ抜け出し蒸溜所とのミーティングの時間をいただいた。先日リリースした樽熟成ボロヴィチカの選定だ。サンプルを送ってもらい判断するだけでは気持ちが乗らない。直感で選びたい気持ちもあった。これに関しては現地で直接選別する必要があると思っていた。

詳しくはこちらの記事を参考に。


この時に翌年輸入開始することになるBLNシリーズの試飲もした。

RUDOLF JELÍNEKで試飲したBLNシリーズ

こちらは生産数は多くないものの、今後も日本へ輸入し続ける予定だ。


さて、ここまで同様に改めて蒸溜所の年表をまとめてみた。


1585年 Vizoviceにおける蒸溜の最古の記録。

ただし、これはRUDOLF JELÍNEKの創業年ではなく、あくまで「Vizoviceという土地における蒸溜史」の起点。当初はビール製造の副産物や穀物を蒸溜していたとされる。



18世紀中頃 Vizovice周辺でSlivoviceの製造が本格化。

この地域はValašsko(モラヴィア・ワラキア)と呼ばれる丘陵地帯で、プラムをはじめとする果樹栽培が盛ん。Hanáの「肥沃な平野・穀物」に対し、Valašskoの「丘陵・果樹」という違いは、両地域の蒸溜酒文化を比較するとかなり面白い。


1882年 Zikmund JelínekがVizoviceの蒸溜所経営に携わり始める。1886年からは蒸溜所を自ら借り受けて経営。ここからJelínek家とVizoviceの蒸溜史が本格的に繋がっていく。

RUDOLF JELÍNEKの歴史を伝える資料

1891年 Zikmund Jelínekが独立して蒸溜事業を開始。


1894年 地元農家が果実の販売・加工先を確保するため、果実加工・蒸溜会社RAZOVを設立。現在RUDOLF JELÍNEKが公式に「1894年創業」を掲げるのは、この会社を現在の企業史の起点としているため。



1585年=Vizoviceの蒸溜史

1891年=Jelínek家の独立事業

1894年=現在の会社が採用する創業年


という違いがある。


1895年 Karl SingerがFirst Vizovice Distilleryを設立。

当時のVizoviceでは、Singer、Jelínek、RAZOVの3社が「Big Three」と呼ばれる主要蒸溜所へ成長する。人口1万人にも満たない町で、蒸溜所三つ巴。だいぶアルコールに染まった町である。ここまでアルコール文化に触れ続けた結果誰も疑問に思わなかった。



1919年 Zikmundの息子Rudolf、Vladimír兄弟が事業を継承。


1921年 兄弟がRAZOVを買収。


1926年 兄弟が事業を分割し、RudolfがRAZOV側を継承。

ここで現在まで続くRUDOLF JELÍNEKという名称が成立する。


RUDOLF JELÍNEKの歴史を伝える人物写真

1934年 Kosher Slivovitzのアメリカ輸出を本格化。

禁酒法終了直後のニューヨークやシカゴなどのユダヤ人市場で成功し、地方蒸溜所だったJelínekを輸出型メーカーへ成長させる。現在までKosher Slivovitzが重要商品として残っていることを考えると、非常に重要な転換点。急にスケールがデカくなってきたな。


1939~1945年 Jelínek家がユダヤ系だったため、ナチス占領下で会社はアーリア化の対象となる。一家のほとんどがホロコーストによって命を奪われてしまったが、息子ZdeněkとJiříが生還。

戦後、二人はVizoviceへ戻り経営を再開する。



1946年 Zdeněkが戦時中の過酷な経験による健康悪化で逝去。Jiříが事業を引き継ぐ。


1948年4月28日 共産政権によって会社を国有化。Jiříは国外へ亡命。

興味深いことに、創業家が経営から排除されたにもかかわらず、海外での知名度・輸出力を持っていたRUDOLF JELÍNEKというブランド名自体は残された。


以降、国営企業体制の中でもSlivoviceの製造・輸出は継続する。



1989年 ビロード革命。同年、独立した国営企業RUDOLF JELÍNEKとして再編。


1990年代 市場経済への移行過程で経営が悪化。


1998年 Pavel Dvořáčekを中心とする新株主グループが参入し、経営再建を開始。

ここから現在のRUDOLF JELÍNEKへ繋がる。



2003年 Vizoviceで自社プラム農園の造成を開始。

現在は敷地内に70,000本弱のプラムが植えられている。

ヴィゾヴィツェに広がるRUDOLF JELÍNEKの自社プラム農園

「自社農園」という言葉から想像する規模ではない。丘がまるまる果樹園みたいな感じ。


原料果実を外部から仕入れるだけでなく、自社でも果樹栽培を行い、栽培から蒸溜まで管理する方向へ大きく踏み込んでいく。



2008年 自社農園のプラムを初収穫。

すごい楽しい収穫日だっただろうな。嬉しかっただろうな。

これを使用したVizovická slivoviceへ発展し、品種・収穫年・産地まで表現するプレミアムなSlivoviceを展開するようになる。もしかしたらこのプレミアムスリヴォは近々輸入できるかも。しれっと重大告知を織り交ぜてみる。もうここまで読んでる人いないだろ。


2010年 R.JELINEK GROUP SEを設立。

その後、自社果樹園と海外事業をさらに拡大。



現在 Slivoviceを中心に、洋梨、アプリコット、チェリー、リンゴなど幅広い果実蒸溜酒を製造。果樹栽培から発酵、蒸溜、熟成、瓶詰めまで手掛ける国際的な蒸溜酒グループへ成長している。フルーツブランデーというカテゴリにおいては世界最大規模だ。


1585年から続く地域の蒸溜文化、Jelínek家による企業化、アメリカ輸出、ナチスによる迫害、共産政権による国有化、市場経済への復帰。チェコという国が経験した近現代史が、そのまま一つの蒸溜所の歴史に刻まれているような会社でもある。



1585年から続くVizoviceの蒸溜文化と、戦争や国有化を乗り越えて残されたRUDOLF JELÍNEKという名前。その長い歴史の先にあるボトルを、今こうして自分たちの手で日本へ届けられることを、素直に嬉しく、そして誇らしく思う。



さてここで問題。

どの人がRudolf Jelínekさんでしょうか?

RUDOLF JELÍNEKの歴史展示でRudolf Jelínekを探すクイズ

正解は〜〜〜

歴史展示に写るRudolf Jelínek

この人でした〜!


なんてこともしながら、和気藹々とチェコの酒文化に触れ続けた。

夕暮れのRUDOLF JELÍNEKのプラム農園

気がつけば日も暮れ始め、プラムの木に囲まれながら余韻に浸る。



濃密なスピリッツツアーも最後を迎える。スピリッツって本当に、魂なんだなと再認識できた。

プラハへ戻るバスの中では全員が爆睡。隣で大使館の方がずっと仕事をしているのを見て頭が上がらない……本当に、どれだけ感謝しても足りないほどの経験を積ませていただいた。松沢は入手した情報を日本に送り続けていた。



18箇所目

HOSPODA Vinohradský Parlament

プラハのHOSPODA Vinohradský Parlament

ウルケル!

HOSPODA Vinohradský Parlamentで飲んだピルスナーウルケル

ビーフタルタル!!

HOSPODA Vinohradský Parlamentのビーフタルタル

酒豪伝説!!

チェコ旅行中に愛用した琉球酒豪伝説

ミルコ!!!!

HOSPODA Vinohradský Parlamentで飲んだミルコ

締めにスリヴォヴィツェ!!

ディナーの締めに飲んだスリヴォヴィツェ

最後までチェコを堪能させていただいた……



ホテルへ戻り、翌日の帰国の準備と、ギリギリのスケジュールではあるが帰国便までの間のプラハ観光プランを練る。

プラハの路上で見つけたネギトロのような落とし物

これはホテルに戻る途中に落ちてた野生のネギトロ。

なんでだよ。



19箇所目

プラハ城/聖ヴィート大聖堂

朝8:00に起き、せっかくプラハに来たのだから観光らしいこともしておきたかった。まず向かったのがプラハ城と、その敷地内にある聖ヴィート大聖堂。


プラハ城と聖ヴィート大聖堂


建造開始は1344年、完成は1929年。サグラダファミリアの比じゃないな……



中に入るとまず目に入るのが圧巻のステンドグラス。中でもムハ(あえてミュシャではなく、ここではムハと呼びたい)の手掛けたステンドグラスが印象的。


聖ヴィート大聖堂のステンドグラス


あと敷地内にあったスタバ、擬態がうますぎて気付かなかった。

プラハ城の景観に溶け込むスターバックス

ここから眺めるプラハ市街地、少し霧が掛かっていたが絶景という他ない。

プラハ城から望む霧がかったプラハ市街

その後は市内を散策。

プラハ市内のフランツ・カフカ像


カフカの像を実績解除



初日に下見をしていたアンティークショップを巡り

プラハのアンティークショップ

掘り出し物と出会い

プラハのアンティークショップで見つけた掘り出し物


最後に空港でウルケル!

帰国前にプラハ空港で飲んだピルスナーウルケル


本当に濃密な5日間だった。

毎年ヨーロッパ出張で過密スケジュールを経験しているが、過去トップクラスの濃さ。

改めてチェコ政府・大使館に感謝を。



旅程中飲んだ杯数は試飲を含め92杯。危なかった……3桁いってなかった。重要なのは総摂取量だから!試飲はそんなに量がなかったから!言うほど飲んでな…いや飲んでるな。

みなさん、飲酒は適度に!!



全部読むのが面倒臭い人向け


チェコ政府・大使館企画の「チェコスピリッツ・トレードツアー」に参加し、5日間ひたすら蒸溜所、ワイナリー、バー、レストランを巡ってきた。500年以上続く蒸溜所から気鋭のクラフト系蒸溜所まで訪ね、貴族、戦争、共産主義、民営化と、酒を調べていたはずが気付けばチェコ近現代史まで勉強することに。もちろん現地の食文化やバー文化も全力で体験した。とにかく、とんでもなく濃密な5日間だった。肝臓は致命傷で済んだ。

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